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2008年11月

ライブの思い出 その62

 その62 CRAZE


 2000年の12月半ば、ペニーレーン24でCRAZE(クレイズ)のライブが行われた。ペニーレーンに行くのは、「BATTLE MANIA」以来およそ4年半ぶりであった。


 俺は開場時間になった時に、ペニーレーンに着いた。当然ながら行列ができていて、行列は外まで列なっていた。でもこの時は冬という事もあって、結構寒かった(笑)。ちなみに地元以外のバンドで、GURUGURU主催ではないライブに足を運ぶのは、この時が初めてだった。


 クレイズはこの年の7月にヴォーカルがチェンジし、新生クレイズとしては初の来札であった。そしていよいよ開演時間の時が来た…。


 開演時間になり客電が落ちると、観客は一斉にメンバーの名を叫んだ。俺も当然ながら、それぞれのメンバーの名を叫んだ。最初に演った曲はちょっと忘れたが、このライブの一ヶ月前にリリースしたシングル「baby punks 2000」の曲は全て(3曲)演奏したと思う。曲の途中でベースソロが始まり、客はさらに盛り上がった。


 この年にリリースしたアルバムの曲も演奏したけど、この時はヴォーカリストが違い、チューニングも違っていた(この時は1音下げチューニング)。だからこのアルバムに収録された曲を演った時は、(チューニングが)半音上がった状態だったので、なんか新曲を聴いた感じだった。でも元ラインナップの曲を演奏しても、元ヴォーカルが作詞した曲は演らなかったような気がした。


 そして本編が終了しメンバーが楽屋に引き上げた時に、当然ながら客はアンコールを求めた。でも客は「アンコール」とは叫ばず、「We are Craze!」と叫んだ。それを繰り返すうちに、メンバーが入場した。何曲か演奏してメンバーは引き上げ、ライブは無事に幕を閉じた。


 ライブで熱狂した影響か、冬場にも関わらず汗だく状態になった。そして耳鳴りと筋肉痛になりながら、家路に着くのであった…。


 以上、CRAZEのライブでした。

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ライブの思い出 その61

 その61 D≒SIRE


 1998年11月下旬、俺は仕事の休みを取りD≒SIRE(デザイア)のライブに足を運んだ。


 でもデザイアのライブに行ったのは、盟友に誘われた形であった。最初はライブに行こうか迷ったけど、最初で最後の来札という事で(ライブに)行く事を決意した。


 当時一緒にデザイアのライブに行ったのは、CDショップの盟友と漫画家の盟友と地域FMのパーソナリティの人とだった。そしてこの時期に俺がサポート参加したバンドのメンバーも、ライブに足を運んだ。ちなみに漫画家の盟友とは、この時が初対面であった。


 デザイアはこの前年の11月に解散宣言をして、今回はデザイアとしては最初で最後の全国ツアーであった。この時のメンバーは、幸也(Vo)、聖詩(Gt)、KEN(Gt)、秀誉(Dr)で、サポートベーシストとしてKILL=SLAYD(キル・スレイド)のJUN≒NAが参加した、


 そしていよいよライブが始まり、メンバーが入場した。次々とメンバーが入場し、最後に入場したのはヴォーカルの幸也社長であった。スーツでビシッと決め、なんか貫禄(?)溢れる感じだった。


 最初に演奏した曲は「DREAMS BURN DФWN」であった。この曲はデモテープ、マキシシングル、1stフルアルバム等に収録され、バンドの代表曲と言っても過言ではない。それからもう一つの代表曲「静夢」も演奏し、会場は更に盛り上がった。MCに入ると、歌っている時とは違う社長の一面を見る事ができた。でもなんか威圧感溢れるMCだったような気がした(笑)。


 本編が終了し、客は当然ながらアンコールを唱えた。するとその直後、一部の客から「追憶」の合唱が起きた。なんか異様な感じだったね。そしてアンコールに入り数曲演奏した後、遂に「BLUE xxx」が披露された。俺を始め多くの客は「いつになったら、この曲を演るのだろう」と思ってたに違いない。しかもこの曲を演奏した時に客電が明るくなり、客のボルテージもさらに上がっただろう。そしてアンコールを含め数曲を演奏した後、デザイアのライブは幕を閉じた。


 ライブが終わり盟友達といろいろ話しをし、会場をあとにした。ほんと久々のライブという事もあって、凄い充実したライブだったと思った。


 以上、D≒SIREのライブでした。

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ライブの思い出 その60

 その60 GARGOYLE


 GARGOYLE(ガーゴイル)のライブを観に行ってから俺は、1年もの間ライブに足を運んでいなかった。理由は覚えていない(笑)。そして久々にライブに足を運び、観たライブは再びガーゴイルであった(場所はメッセホール)。


 前年(1996年)にCD付きビデオ「絶滅種」をリリースしてから、しばらくの間音源がリリースされていなかった。だけど久々に音源がリリースされ、CDシングルとしてリリースされた。


 以前、ガーゴイルについて語った時に書いていなかったかもしれないが、敢えて書こうと思う。ガーゴイルが4人編成の時に1番盛り上がった曲は、「ないづくし」だったと思う。だけど5人編成になってからは、「人の為」だったような気がする。盛り上がるのは、やはりサビの所で何度も客を煽ったからだと思うね。だからメンバーは勿論、客のボルテージも一層高まったんじゃないかな。


 新旧織り交ぜながら演奏した後、新曲「SATORI」が披露された。曲調はガーゴイルの王道を行った感じだった。ちなみにこのライブの二ヶ月後に、シングル「SATORI」とビデオ「絶滅種」、そして新曲1曲、計7曲収録されたミニアルバム「巡礼印」がリリースされるのであった。


 ライブが終わった後に会場を出たら、以前GURUGURUのライブスタッフをやってた人がライブに観に来てた。俺がライブスタッフとして働いてた時以来だから、およそ2年半ぶりであった。


 1年ぶりにライブに足を運んだ俺だが、またしばらくの間ライブには行かなかった。今度は盟友達と一緒にライブに行くのであった…。


 以上、GARGOYLEのライブでした。

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ライブの思い出 その59

 その59 GARGOYLE


 1996年12月上旬、札幌メッセホールでGARGOYLE(ガーゴイル)のライブが行われた。ガーゴイルに関しては95年の4月に、ライブスタッフとして仕事した時以来である。客としては94年の5月以来であり、およそ2年半ぶりであった。


 この年の6月頃にガーゴイルはメジャーを離れ、再びインディーズシーンに戻って来たのである。また5人編成になってから、早くも3年が経過していた。


 この年はオリジナルアルバムは1枚もリリースしていなく、6月にベストアルバムをリリースしただけである。しかも新曲は、ベストアルバムに収録された1曲のみであった。


 でもこの時期にビデオ「絶滅種」をリリースし、おまけとしてビデオに収録された曲全てが、付録CDとして付いていた。余談だがこのビデオはスタッフはおらず、メンバーのみで製作されたビデオであった。


 久々に客としてガーゴイルのライブを観ると、相変わらず攻撃的だった印象を受けた。覚えているのはアンコールの時、「DESTROY」の曲で間奏の部分に入った時に、弦楽器隊が客席に乱入(?)してギターソロを弾きまくった。当然ながら客もノリにノッた。アンコールを含めて20曲以上演奏して、ライブは幕を閉じた。


 このライブを観てから、またしばらくの間ライブに足を運ばなくなった。理由は特になかった(笑)。


 以上、GARGOYLEのライブでした。

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ライブの思い出 その58

 その58 BATTLE MANIA


 1996年5月の始め、ペニーレーン24でBATTLE MANIAのイベントが行われた。このイベントは地元のバンド中心で3DAYSだったが、予算の都合上俺は初日のみしか行けなかった。


 初日に出演したバンドはNERVOUS(ナーバス)とLEYVE(レーヴ)に加え、ゲストとして黒蜴蝶(くろあげは)とGRIMM THE CAPSULE(グリム・ザ・カプセル)と堕天使の3バンドが出演した。ちなみにゲストの3バンドは「NATURAL BORN ROCKERS」という企画で、全国ツアーを展開していた。


 最初に登場したのはナーバスで、俺はおよそ1年半ぶりに観た。ちなみに俺が高校生の時に、一緒にバンドをやってた奴がナーバスのローディーをしていた。


 続いてはレーヴで、レーヴを観るのはおよそ半年ぶりである。このバンドのギタリストは斫り屋で働いていて、俺は偶然にもそこの会社に応援に行った時に、彼と同じ現場で働いた事があった。


 続いては確かグリム・ザ・カプセルだったと思う。グリムは東京ヤンキースの前座以来、およそ3年ぶりであった。だけどこの二ヶ月後に、グリムは突如解散してしまった。その後ベースは東京ヤンキースに加入し、他のメンバーもそれぞれのバンドで活動していた。


 続いては黒蜴蝶で、前回のライブより一層攻撃性が増した感じだったような気がした。俺は「早く新しいアルバムがでないかなぁ」と思った。


 そしてトリは堕天使である。前回に比べると、ベースがチェンジしていた。このライブの後、マキシシングルをリリースしている。


 全てのライブが終わった後、俺は早速物販コーナーへ行き、「NATURAL BORN ROCKERS」のCDシングルを購入した。そして先程書いたナーバスのローディーと外で会い、少し話しをした。


 このイベントは先程も書いたが、予算の都合上初日しか行けなかった。あとの二日間は全て地元であり、当時札幌インディーズシーンで活躍していたバンドばかりだった。余談だが、俺が前年にルナシーのコピーをやった時のドラムが、このイベントに参加していた。


 このライブを観た後、俺はしばらくの間ライブには行かなかった。


 以上、BATTLE MANIAのイベントでした。

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ライブの思い出 その57

 その57 札幌ベッシーホール


 1996年3月下旬、札幌メッセホールでのライブを観た翌日、今度は札幌ベッシーホールでライブを観に行った。この時もまた、メンバー募集で知り合った奴と一緒にライブを観た。


 この日の出演バンドは、名古屋から雫(しずく)…と呪麗(じゅれい)、札幌からはCrime of fiction(クライム・オブ・フィクション)とCARESS(カレス)の4バンドであった。


 ところが雫…のヴォーカルが急性喉頭炎の為、雫…自体がライブ中止となり、急遽トークライブという形になった。その為にチケットの払い戻しを設けていた。だけど俺はクライム・オブ・フィクション目当てにライブに来たのだから、(チケットの)払い戻しはしなかった。


 トップバッターは名古屋の呪麗である。呪麗は雫…の弟分バンドであり、今回が初来札であった。でもサウンドに触れると、音がまだまだ完成されていない印象だった。覚えるいるのはMCで、「今年の7月に地元名古屋でワンマンやります」と言ってた。多少辛口な意見になるが、俺は「ワンマンやるにはまだ早くねぇ?」って思った。後にアルバムをリリースした時は、クオリティー的に大分成長したと思うけど、演奏力は正直「んー」って感じだったかな。


 続いては地元札幌のカレスである。ヴォーカルがチェンジしてから初めてカレスを観る事になる。だけどカレス自体も、まだ音源(デモテープ)をリリースしていなかったせいか、あまり覚えていなかったかな。


 カレスの出番が終わった後、雫…のトークライブが始まった。この時は弟分バンドの呪麗も一緒にステージに上がった。トークの内容については、はっきり言って全然覚えていない(笑)。


 そしてトリは地元札幌のクライム・オブ・フィクションである。クライムを観るのは久々だけど、演奏を聴くとクオリティーが一層増した印象を受けた。はっきり言ってこの日に出演したバンドで一番演奏力があったのは、クライムだったと思う。だけどこれから全国に展開しそうな矢先に、バンドは突如解散してしまった。東京進出も噂されただけに、まことに残念な気がした。余談だがこのバンドのギターは、後にD≒SIRE(デザイア)に加入するのである。


 この次ライブに足を運んだのは、G・W中に行われたイベントであった…。


 以上、札幌ベッシーホールでした。

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ライブの思い出 その56

 その56 札幌メッセホール


 1996年3月下旬、およそ二ヶ月ぶりに札幌メッセホールへ足を運んだ。この時も前回同様、メンバー募集で知り合った奴と一緒にライブに観に行った。でもほんとはそいつは、ちょっと遅れてメッセホールに来たのであった。


 この日の出演バンドはGRUDGE CURSE(グラッジ・カース)とF.Fの2バンドであった。最初に登場したのはグラッジ・カースで、前回のライブでは体調不良だったヴォーカルも、今回は万全の状態でライブに臨めたと思う。覚えるのはMCでヴォーカルがドラムに対し、「最近は丸くなって、週一度しか人を殴らない」とか言ってたような気がする(笑)。このバンドのヴォーカルとドラムは、恐持てな上に体にタトゥーが入っている。初めて会った人は、ちょっとビビるかもしれない。ちなみにこの二人は、酒は飲まないらしい。


 続いてはF.Fの登場である。メンバーは元ALUCARD(アルカード)、元THE ZOLGE(ザ・ゾルゲ)、元SIGHS OF LOVE POTION(サイズ・オブ・ラブ・ポーション)、元THE MAGNETS(ザ・マグネッツ)というパンク系やニュー・ウェイブ系のバンドで活躍した面々だ。この年の2月にミニアルバムをリリースし、それを引っ提げてのツアーであった(と思う)。サウンドはパンキッシュだけど、わりとキャッチーな印象を受けた。ちなみに同年の11月に、2ndミニアルバムをリリースしている。


 このライブを観た翌日、今度は札幌ベッシーホールでライブを観に行くのであった…。


 以上、札幌メッセホールでした。

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ライブの思い出 その55

 その55 札幌メッセホール


 年が明けた1996年1月の下旬、札幌メッセホールのライブに足を運んだ。


 この日の出演バンドは、YOUTHQUAKE(ユースクエイク)、黒蜴蝶(くろあげは)、HARKEN KREUZ(ハーケン・クロイツ)の3バンドであった。いつもは一人でライブに行くのだが、この時はメンバー募集で知り合った奴と一緒に行った。


 最初に登場したのはハーケン・クロイツである。前年にヴォーカルとベースがチェンジし、メンバーチェンジしてから初めてハーケンのライブを観る事になる。ベースは結成当時のメンバーが復帰という形だが、ヴォーカルは当時は弱冠19歳という若さの新人であった。前任者に比べればまだまだという印象があったが、これから楽しみだと思わせてくれた。


 続いては黒蜴蝶である。黒蜴蝶を観るのは一昨年(1994年)の11月以来で、ヴォーカルは前回よりイメージが一新した印象だった。それで俺と一緒にライブに来た奴が、ヴォーカルがチェンジしたと勘違いしてた。またこの時期から黒蜴蝶は、チューニングがレギュラーから半音下げとなった。


 そしてトリはユースクエイクである。このライブの直前にアルバム「YOUTHQUAKE」をリリースして、それを引っ提げての(多分)ライブであった。ユースクエイクを観るのは前年のイベント以来で(この時はライブスタッフとしてである)、この間にドラムがチェンジしている。ずっと前に(1994年11月)メッセでユースクエイクを観た時はギターがトラブってしまったが、今回は特に何のトラブルはなく無事にライブは終了した。


 全てのバンドのライブが終った後にアンケートを記入して、それをスタッフに渡して会場を出た。そしたらメッセの階段の踊り場で、グラッジ・カースのヴォーカルがチケットを売っていた。俺はグラッジのヴォーカルに、「今度、俺らのライブに来るか?」と言われた。すると俺は「機会があれば行きます」と言い、その場をあとにした。


 その二ヶ月後に俺は、グラッジのライブに足を運ぶのであった(勿論、対バン含めて)。しかもこの日一緒に行った奴と…。


 以上、札幌メッセホールでした。

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ライブの思い出 その54

 その54 札幌メッセホール


 ライブスタッフの仕事が終わった半年後(1995年11月)、再び客としてメッセホールに足を運んだ。


 この時に出演したバンドはGRUDGE CURSE(グラッジ・カース)、CARESS(カレス)、LEYVE(レーヴ)の3バンドであった。ほんとはこの日は仕事だったが、このライブの為に(仕事の)休みを取った。


 ライブ当日は確か、開演ギリギリに入ったような気がする。そして開演時間になり、ライブがスタートした。


 最初は確かカレスだったと思う。サウンド自体はあんまり覚えていないが、前の方にいた客はかなりノッてたと思う。だけどこのライブを最後に、ヴォーカルが脱退してしまうのであった。ちなみに脱退したヴォーカルは、後のE-QUAL(イー・クアル)である。


 続いてはレーヴである。元々はDURAN DOLL(デュラン・ドール)というバンド名だったが、つい最近(当時)バンド名を改名した。ちなみにこの2年後に、以前語っだ悪友"がギタリストとして加入するのであった。


 そしてトリは、この日が初ライブとなるグラッジ・カースの登場である。この年の5月にHARKEN KREUZ(ハーケン・クロイツ)を脱退したヴォーカルとベースが結成したバンドだ。ちなみにギターは元ERECTION(エレクション)で、ドラムは元HYENA(ハイエナ)である。


 グラッジの初ライブであったが、ヴォーカルの体調がイマイチだったらしく、本人としては不本意な感じであっただろう。実際観ていると、顔面半分に包帯らしき物をしていたから、「どうしたのかなぁ?」と思った。でも次のライブが楽しみだと思わせてくれたかな。


 余談ではあるがライブを観に行く直前、道央道で事故があった。事故に遭ったのは、俺が働いてる会社であった。で、一人が全治三ヶ月の重傷を負ってしまった。原因は元請けの会社の人間が冬道にも関わらず、スピードを出したのが事故の原因だと思う。俺はそこの元請けの会社によく行っていて、もし俺がその日に仕事に行ってたら、俺が事故に巻き込まれていたかもしれない。


 話しはライブに戻るが、この次ライブに足を運ぶのは翌年の1月で、メンバー募集で知り合った奴と一緒にライブを観に行ったのであった…。


 以上、札幌メッセホールでした。

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ライブの思い出 その53

 その53 LAUGHI'N NOSE


 GARGOYLE(ガーゴイル)のライブの翌日、LAUGHI'N NOSE(ラフィン・ノーズ)のライブがあり、会場は札幌ベッシーホールであった。


 集合時間は確か3時までだったと思う。それまでの間に前日に、メンバー募集で電話してくれた奴と待ち合わせをした。いろいろ話し合ってか、ベッシーに向かった。


 これまでの(ライブ)スタッフの仕事は、ほとんどヴィジュアル系ばっかりだったが、今回は珍しくパンク系であった。


 ラフィン・ノーズは91年に一度解散したが、94年に復活して、復活して初の全国ツアーであった。ラフィンはかつては、ウィラードや有頂天と共に「インディーズ御三家」と言われていた。


 ベッシーホールでのスタッフの仕事は今回が初めてで、ライブ本番の時はスタッフはストッパーの役目をして、終始ステージの下を手で押さえていた。


 そしてライブ本番になると、客が一斉に暴れ(?)始めた。いつもはヴィジュアル系で客が女ばかりなので、今回は(男ばかり)なんか新鮮な感じがした。でもパンク系の客はヴィジュアル系の客と違って、意外と常識(?)を持った暴れ方をしてた感じだった。一部の客がステージに上がったりするけど、スタッフは別に止めたりはしなかった。ステージに上がった客は演奏を決して邪魔はせずに、ノリにノッた後にすぐにダイブをした。


 本編が終了したあと、あちこちの客から「ゲット・ザ・グローリー!」と聞こえてきた。そう、この曲はラフィンの代表曲であり、この曲は(ラフィンの)ライブではなくてはならない曲なのである(はず)。「ゲット・ザ・グローリー」の演奏が終わり、ラフィンのライブは幕を閉じた。


 実はこのライブをもって、俺はライブスタッフの仕事にピリオドをうつのであった。ていうより、後にライブスタッフの体制が大幅に変更になり、男性スタッフはほとんどいなくなってしまったのであった(多分)。


 でもホントはラフィンのライブの後、Eins:Vier(アインス・フィア)のスタッフの仕事があったのだが、冒頭に書いたメンバー募集で知り合った奴に無理矢理付き合わされ、なくなく(仕事を)断ってしまったのである。今思うと非常に後悔したと思ったね(苦笑)。


 ライブスタッフの仕事の話しは以上で、次回から再び通常に戻ります。


 以上、LAUGHI'N NOSEのライブでした。

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ライブの思い出 その52

 その52 GARGOYLE


 1995年4月の半ば、札幌メッセホールでGARGOYLE(ガーゴイル)のライブが行われた。この時はちょうどアルバム「natural」をリリースした時で、それを引っ提げてのツアーであった。


 ライブスタッフとしての仕事は3月の中旬以来で、その間にはUNITED(ユナイテッド)や東京ヤンキースのライブがあった。だけどこの時は俺の出番はなく、およそ一ヶ月ぶりのスタッフの仕事であった。


 考えてみればメッセホールでの仕事は、見習い期間を除けば今回が初めてである。でもメッセホールでは、どうやればいいのかちょっと戸惑ってしまった。そこでライブの途中で他のスタッフに外へ連れていかれ、いろいろ指示されたかな。


 ライブの内容の話しになると、「natural」に収録されてる曲は勿論、昔の曲も何曲か披露した。とある曲で、キーボードが入ってる曲はどんな感じになるのかなぁと思ったけど、キーボードの部分はローディーが裏で操っていたような気がした。また打ち込みの曲では、ドラムはクリックを聞きながらプレイをしてたかな。


 新曲と代表曲を(アンコールを含めて)20曲ほど披露し、ライブは無事に終了した。終わってすぐ場内の後片付けをしようとした時、以前メンバー募集で会った事のある奴が(ライブに)観に来ていて、ちょっと気まずい感じがしたかな(苦笑)。関係ないけど、帰りの地下鉄でハーケン・クロイツのベーシストとばったり会い(とは言ってもライブのゲストにも来ていたが)、終点まで一緒だった。


 余談だが開場時間から開演時間までの間、階段の所でまだ入場してない客を確認した時だった。一部の客から俺に対し小声で、「あの人、(黒夢の)臣に似てない?」って聞こえてきた。これについてはビハインド・ザ・マスクのイベントの時も、ピアスのメンバーに「君、黒夢のギターに似ているよね」と、言われた事があった。ただそれだけだけど(笑)。


 関係ないけど仕事が終わり家に帰ると、メンバー募集の連絡があった。早速電話して、後日そいつと会う約束した。ちなみにこいつは以前、「出会わなければよかった奴」で語った奴であるのだ。


 以上、GARGOYLEのライブでした。

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ライブの思い出 その51

 その51 札幌メッセホール


 1995年3月の中旬、およそ二ヶ月ぶりのライブスタッフの仕事をした。この時の会場は札幌メッセホールで、出演バンドは3組だった。


 この日出演したバンドは地元から、HARKEN KREUZ(ハーケン・クロイツ)とEXCIEED(エクシード)で、地方からNECROPHILIA(ネクロフィリア)が出演した。


 最初に登場したのはエクシードで、後のPuzzle(パズル)である。俺的にはそれほど印象に残ってはいないが、わりとストレートなサウンドだったような感じだったと思う。


 続いてはネクロフィリアだったと思う。ちなみにこの時期に、某深夜バラエティー番組で「クイズDEATH」というコーナーに出演していた。いろんなヒット曲をデスメタル調で演奏して、それを当てるという企画。でも本来のサウンド自体はデスメタルではなく、パワーメタル調だったような気がした。


 そしてトリは、札幌では知らぬ者はいないと言っても過言ではないハーケン・クロイツの登場である。ハーケンに関しては客として観ていたし、ビハインド・ザ・マスクの時もスタッフとして仕事をしていたので、説明するまでもないだろう。だけどこの二ヶ月後に、ヴォーカルとベーシストが脱退してしまうのであった…。


 余談だけどこの日に出演したバンドのドラマーは、ハーケンのドラムセットを借りてライブをするのだけど、エクシードだけはなぜかライブハウスのドラムセットを使用した。きっと本人(エクシードのドラマー)は、ワンバスでプレイしたかったのかなって思ったね。おまけにキャノンタム(パール製の筒状のタム)を使用していたし。


 全てのバンドが終わり後片付けをした時に、ライブハウス内にあるピアノをステージに運んだ時だった。ピアノは確か300キロくらいあったと思う。そこでスタッフやこの日出演したバンドのメンバーで、15人くらいでピアノをステージに上げた事があった。15人とはいえ、かなり重かった印象があったね(当たり前か)。


 このあとも幾つかライブはあったけど、ガーゴイルのライブまで(ライブスタッフの)仕事は回ってなかったのであった…。


 以上、札幌メッセホールでした。

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ライブの思い出 その50

 その50 ステージ累


 1995年1月の下旬、ビハインド・ザ・マスクのイベントが終わった2日後に、ステージ塁での(ライブ)スタッフの仕事があった。


 この日は札幌からV-POSITION(Vポジション)とSUTH:VICIOUS(サス・ヴィシャス)、地方(名古屋)からOf-J(オブジェ)とFANATIC+CRISIS(ファナティック・クライシス)の計4組という面々だ。ちなみにファナティック・クライシスは、今回が初めての来札であった。


 それぞれのバンドのリハーサルが終わり、いよいよ開場時間だ。開場時間になり客が次々と入場し、そして間もなく開演時間の時が来た。


 最初は確かサス・ヴィシャスだったと思う。この時はまだ結成して間もなく、まだまだっていう感じがしたかな。数年後にCDをリリースしたり、インディーズ番組で紹介されたのは、ヴィジュアル通(30前後の人?)ならご存知だろう。


 続いてはVポジションである。ベーシストが最初のメンバーが復帰してのライブであったが、この日のライブを最後にギタリスト(片方の)が脱退した。しかもMCでも脱退については、一言も言ってなかったような気がした。


 その次は初来札となるファナティック・クライシスの登場だ。このライブの二ヶ月前にアルバム「太陽の虜」をリリースしており、それを引っ提げての(多分)ツアーであった(オブジェとのカップリングだと思うが)。初期はギターシンセを導入した感じだったが、まだ粗削りさは否めなかったと思ったかな。でもこの年にリリースされたビデオシングル「Truth」では、クオリティーが大幅に上がった感じだった。


 そしてトリはオブジェである。俺はオブジェを見るのは、一昨年のメッセホールの時の黒夢の前座以来である。この時すでにアルバムとマキシシングルを1枚ずつリリースしていて、地元名古屋ではトップクラスのバンドに成長していた(と思う)。


 全てのバンドが終了して、後片付けの作業に入った。その時俺はファナティックのメンバーがライターを落としたと思い、「これ、落としませんでした?」と言った。するとメンバー(ギター?)が、「いいえ、違いますけど。でも、よかったら(ライターを)貰いますけど」と言い、俺は勝手にメンバーにライターをあげた。


 このライブの後、しばらくの間ライブスタッフの仕事はなかったのであった…。


 以上、ステージ塁でした。

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ライブの思い出 その49

 その49 BEHIND THE MASK・完結編


※3日目の続き


 そして開場時間のあと、いよいよ開演時間となった。出演順は確かジョリーピックルス、ユース・クエイク、ルアージュ、ヴォーグの順だったと思う。


 覚えてるのは出演バンドのドラマーは、何れもヴォーグのドラムセットを借りてプレイした。ツーバスセッティングだったので、普段ワンバスセッティングのドラマーも、この時だけはだけどツーバスの状態でプレイした(但しワンバスドラマーは、片方しか使わないが)。ちなみにユース・クエイクのドラマーは、タムだけは自分のを使用した。多分ロートタムだと、満足しなかったからだと思うけどね。


 イベント最終日は初日と2日目と比べて、客の数は200人近くいたような気がした。それは客の大半が、ルアージュ目当てだったと思う。この時からルアージュ人気は高かったんだなぁと思ったね。


 機材の搬出や後片付けが終わった後、俺はヴォーグのドラマーといろいろ話しをした。で、本人に年齢を聞いたり、メンバーの年齢を聞いたりしたかな(笑)。それで俺は「また札幌に来て下さい」と言い、彼と握手をしてペニーレーンをあとにした。だけどこのツアーをもって、彼は健康上の理由によりバンドを脱退するのであった。


 ライブのあとの打ち上げに、俺は3日目のみ参加した。この時はユース・クエイクと、ヴォーグのドラマー以外の人達が(打ち上げに)参加して、勿論、客も参加した。でも、なぜかこの日に出演していない、ハーケンのヴォーカルとドラマーも参加した。打ち上げと言ってもスタッフは周りの様子を伺ったり、客から(打ち上げの)費用を徴収したりした。だけど正直、一部の客からなんか高圧的な視線を感じたので、もう打ち上げは懲り懲りだったね(苦笑)。余談だが打ち上げに参加したバンドの一人が、打ち上げとは関係ない場所でナンパをしてたかな(笑)。そしてお開きの時間になると、打ち上げ会場をあとにしたメンバーそれぞれに、「お疲れ様でした」と挨拶をした。


 打ち上げが終わった時は、すでに深夜1時くらいになっていた。当然ながら終電はとっくに過ぎていた。だからスタッフに、車で自宅まで送ってもらった。


 3日間に渡るビハインド・ザ・マスクのイベントは、無事に幕を閉じた。この2日後に、今度はステージ累での仕事があった…。


 以上、BEHIND THE MASKでした。

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ライブの思い出 その48

 その48 BEHIND THE MASK・後編


 ビハインド・ザ・マスクのイベントも、(札幌は)今回が最終日である。この日の出演バンド(ヴォーグ以外)は、ROUAGE(ルアージュ)、YOUTH QUAKE(ユース・クエイク)、ジョリーピックルスの面々であった。


 ペニーレーンに来て、早速機材の搬入の手伝いをした。その時後ろの方でローディーらしき人が、タムタムのヘッドで頭をぶっ叩かれていたのを目撃した。多分(タムタムの)ヘッドを間違えたのだろうかと思う。よく見ると(ローディーを)叩いたのはユース・クエイクのドラマーで、俺は「おっかねぇなぁ」と思った(苦笑)。


 機材搬入の手伝いをした後、俺はしばらくの間バンドのリハーサル風景を見ていた。ユース・クエイクのヴォーカルは、リハーサルの前に柔軟体操をしてたね(笑)。あと印象に残ったのは、ジョリピのヴォーカルだったかな。CDでよく聴いていたけど、彼ほど(ヴィジュアル系の中で)歌が上手いヴォーカリストはいないなぁと思ったね。リハーサルを見てて改めて「いいなぁ」と思った。だけど彼は2001年に、不慮の事故で他界してしまった…。


 入口に戻るとカラーのメンバーがやって来て、グルグルのスタッフに挨拶をしてペニーレーンをあとにした。そう言えばカラーと同行したスタッフに、いろいろと裏事情を聞いたかな。例えばとあるバンドについてだけど、俺は「〇〇〇って、解散したんですか?」と質問した。そしたらそのスタッフが「ヴォーカルが抜けて、現在オーディションをしてる段階なんだよねぇ」と答えてくれた。だけどそのバンドは、間もなく自然消滅してしまった。ちなみに同行スタッフは、某音楽雑誌に「フリーウィルのヤンキー社員」と書いてあったけど、ほんとヤンキーっぽかったね(笑)。


 続く…

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ライブの思い出 その47

 その47 BEHIND THE MASK・中編


 イベント2日目は初日と同じ、正午前に会場に着いた。でも初日と同様、ちょっと(来るのが)早過ぎたなぁと感じた。


 2日目に出演したバンドは、BILLY & THE SLUTS(ビリー&ザ・スラッツ)、DIE-ZW3E(ディザイ)、HARKEN KREUZ(ハーケン・クロイツ)であった(勿論、主催のヴォーグも)。


 俺が会場に入ってから30分くらいしてから、それぞれのバンドが会場入りをした。各メンバーが会場する度に俺は、「おはようございます」と挨拶した。


 そう言えばハーケンのメンバーは、前日ゲストとしてペニーレーンに来ていた。で、メンバーは俺がライブスタッフとは知らずに、「明日、ライブに来れるかい?」と言ったっけ。


 あとリハーサルに入る前に、ヴォーグのドラマーがコンビニに行くというので、俺は一緒について行った。彼は広告では金髪だったのだが、この時は髪を黒くして、見た目もごく普通の人っていう感じだった。ちなみにヴォーグ結成の前は、黒夢のサポートを務めていた。


 各バンドのリハーサルが終わった後、いよいよ開場時間になった。そしたら一部の客が、間接的にビリスラのヴォーカルにファンレターを渡していた。なんかこういう光景もいいなぁと思ったね。


 この日の出演順は確か、ハーケン・クロイツ、ディザイ、ビリー&ザ・スラッツ、ヴォーグの順だったと思う。ペニーレーンなのでライブ中はステージ下にいるので、演奏してる所は見れないが、セットチェンジの時はステージに上がってバンドの手伝いをしたかな。


 この日も無事にイベントは成功し、機材の搬出と後片付けをした後、本日の日当を貰い「お疲れ様でした」と挨拶をして、家路に着いた。


 2日間を振り返ると、イベントは成功したけど客足は初日も2日目もなんかイマイチで、何れも5~60人くらいした来なかった。でも3日目は、(客足が)その倍以上だったのであった…。


 続く…。

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ライブの思い出 その46

 その46 BEHIND THE MASK・前編


 1995年1月の下旬、札幌ペニーレーン24でBEHIND THE MASK(ビハインド・ザ・マスク)のイベントが行われた。これはVogue(ヴォーグ)のCHIKA氏主催のイベントで、全国規模で行われたのであった。札幌の初日に出演したバンドは、主催のヴォーグの他、COLOR(カラー)、DECAMERON(デカメロン)、THE PIASS(ザ・ピアス)であった。


 イベント当日、俺は正午までに会場に行き、しばらくの間待機してた。それから間もなくその日の出演バンドが会場入りした。覚えてるのはデカメロンのベースに、「北海道はいつ頃から雪が積もるの?」と聞かれた事があったなぁ。それとドラムの人がうちのスタッフの人と、競馬の話しを延々と語っていたっけ(笑)。


 カラーのメンバーも間もなく(会場に)到着した。しかしこのツアーの時はローディーはおらず、フリーウィルの同行スタッフのみだった。その日だけ俺は、カラーのスタッフを努めた。あとリハーサルの時に、ブラックライトとフラッシュの役目を任されたのであった。余談だがトミー社長はプロレス技が得意と雑誌に書いてあったが、実際俺はメンバーやスタッフに、プロレス技をかけていたのを目の前で見たなぁ。関係ないけど一部のメンバーは、楽屋の近くで麻雀をやっていた(笑)。


 各バンドのリハーサルが終わり、あとは会場時間を待つのみだった。そして開場時間になると、持ち物チェックをしてから客を入場させた。その時、一部の客から「あれ?よくライブに来てませんでした?」と言われたかな。


 そして開演時間に入り、ザ・ピアスとデカメロンの出番が終わると、いよいよカラーの出番である。俺はブラックライトの係なので、自分的には責任重大だなぁと思った。でも無事に係を努めたので、正直ホッとした。もし失敗をすれば、トミー社長にヤキを入れられるんじゃないかと内心ビクビクしてた(笑)。


 主催バンドのヴォーグの出番が終わり、イベント初日は無事に終了した。終了後は機材の搬出の手伝いをしたり、会場内の後片付けなどをした。覚えてるのは、カラーのドラマーの仮面を目の前で見た事かな(彼のトレードマークは仮面であった)。俺は「あっ、本物だ」と思った(笑)。


 最後に日当(5千円)を貰い、「お疲れ様でした」の挨拶をして、俺は家路に着くのであった…。


 続く…

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ライブの思い出 その45

 その45 BY-SEXUAL


 1994年12月の終わり頃、札幌ペニーレーン24でBY-SEXUAL(バイ・セクシャル)のライブが行われた。この日は2DAYSで、俺はライブスタッフとしてデビュー(?)した。


 確か正午頃にペニーレーンに行き、他のスタッフが来るのを待った。しばらく待機して、それから(バイセクの)メンバーが会場入りをした。その後ホール内へ行き、バンドのリハーサル風景を見た。その時俺は曲目表に目が行き、各曲にテンポが記されていた(Fast・Medium・Slowの3種類)。多分これは、照明に合わせる演出なのかなぁと思った。


 そしていよいよ開場時間となり、客のカメラとテレコをチェックしながら入場させた。開場時間からおよそ30分後に、開演時間の時が来た。しばらくしてメンバーが入場して、客の歓声が飛び交った。ちなみにペニーレーンの場合、スタッフはステージの下で客の様子を伺う。その為、メンバーが演奏している様子は見られないのである。


 この時バイセクは、このツアーをもってヴォーカリストが脱退するのであった。その為一部の客から、「辞めないでーっ」と泣き声に近い悲鳴が聞こえた。それでもアンコールを含めて20曲近く演奏して、初日のステージは終わった。


 ところが二日目に入った時に、メンバーから指摘があった。前日に一部の客が、カメラを使用してたというのだ。だから二日目は客の持ち物を厳重にチェックをして、それから入場させた。二日目は特にトラブルもなく、無事にライブは終了した。


 バイセクは最初デビューした時は、正直演奏が未熟(失礼!)な印象があった。だけどアルバムをリリースする毎に、徐々に演奏が成長したような感じがした(バックが)。でも俺的には最初の2枚がよかったと思う。


 ライブが終了した後、グルグルのスタッフだけで打ち上げをした。場所はグルグルの近くの焼鳥屋でやった。一部のスタッフが酒が入ったスタッフとちょっと揉め事になったりしたけど、それ以外は特に問題なく打ち上げはお開きとなった。


 バイセクのライブの一ヶ月後、今度はBEHIND THE MASKのイベントがあり、この時は3DAYSであった…。


 以上、BY-SEXUALのライブでした。

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